「虫食い」

 年々、自分への関心が薄まっている。「自分への関心」といっても、内面的なものというより外見のことである。以前から確かに髪を切りに行くのとか、かなり面倒くさかったし、ブランドものに凝ったこともない。が、20代前半の頃など、コーディネイトに気を使ったり、洋服をガンガン買っていたりはしていたのだ。それが今や、洋服を買うという行為すら面倒になってしまった。「洋服を買いに町へ出る」。そんな言葉は私の辞書にはございません、面倒な、という具合である。


 そんないい加減な生活が祟ったのであろう。事件はつい最近起きた。その日は朝からいくつかの打ち合わせが立て続けに入っていて、前の日遅くまで原稿を書いていた私はそこら辺にあるグレイのニットを着て、打ち合わせへと出かけたのだった。夜、やっとそのほとんどが終わって、ある出版社の人とご飯となり、お洒落なイタメシ屋へと入る。毛玉のついたニットはすでにその店で浮いていた。でもまあいいや、誰も見てないだろう、別に。開き直ってまずはトイレへ。手を洗うときにふと鏡を見ると、そのニットの脇腹の位置に500円玉大の紙切れがついている。「なんだ、これ?」と思いつつ、紙切れを取ろうとした瞬間、私はもっと大きな「なんだ、これ?!」を心の中で絶叫することとなった。500円玉大のもの。それは紙切れではなく、ニットに大きく空いた穴だった。そこから下の白いカットソーがくっきり覗き、紙切れに見えていたのだ。虫食いだった。毛玉ならまだしも、虫に食われている。しかも尋常な大きさではない。食われ過ぎている。その日、打ち合わせであった人々の顔が走馬燈のように浮かんでは消えた。みな、気付いていながら黙っていたのだろうか? それとも気付かなかったのか。いや、気付かないはずがない・・・。大きな落胆に襲われかけたが、それよりも一瞬早く「この時間までよく気がつかなかったな、自分」という感動の波が押し寄せた。後悔よりむしろ、「おおらかな自分に乾杯!」といった何故か自分賛歌な気分。心の中では自虐的な大爆笑。


 トイレから出て、マラソン後のようなポーズで脇腹の虫食いを手で押さえながら席に戻りつつ、「しかし、このままじゃいかん」と切に思った。来年はもうちょっと自分に関心を持とう。人前に出るようなイベントや講座もいくつか控えているし。私は昔、出版社に勤めていた頃、いずれ、寝ているときに着ている服も、くつろぐときに着ている服も、仕事の場で着ている服も、同じような人間になりたい、と思っていた。つまりTPOで外面を使い分けるなんてややこしいことや、取り繕ったりごまかしたり大きく見せるようなことなんかせずに、素のままで仕事に臨めるような人間になりたいと思っていたわけである。自分と仕事がちゃんと繋がっている、というか。服の件はもちろんひとつのたとえでそう思っていたわけだが、ここへきて「例え」ではなく、実際問題としてそんな状態に陥っている自分を発見してしまった。理想は未だ叶わぬまま、違う形で具現化している。暗澹たる気分で席に着き、脇腹の穴に、そっとナフキンを差し込んだ。差し込んでみたのだ。

2002年12月