「はい、これ、おつりでちゅよ〜」。

 …と言ったのは、うちの近くのコンビニの店員である。母親と買い物に来ていた子供に、こう言いながら小銭を渡した。子供はお使いの一端を担えたことが嬉しそう。母親も「ありがとうございます」などといって、この親切な店員に頭を下げている。心温まる光景だ。


 しかし、私はこの店員(推定22歳、男性)に、かねがね苦言を呈したいと思っている。彼の勤務態度は完璧だ。客が入ってくれば店中に響き渡るような声で「いらっしゃいませ〜」と叫ぶ。レジに立てば立ったで「箸をつけるか」「温めるか」「袋を分けようか」と執拗に訊ねる。眉毛は濃く、体格が良く、たぶん10人中9人のおばさんが「好青年」と太鼓判を捺すルックスも兼ね備えている(つまり一昔前な感じだ)。


 ただ、忘れないで欲しい、ここはコンビニなのだ。コンビニは、本来もっといい加減な場所だったはずだ。いかにもバンドやってそうな兄ちゃん(金髪、ロン毛、ピアスなど)が心底やる気無さそうに対応する。ハキハキと「いらっしゃいませ」なんて言わない。蚊の泣くような声で「ませ」。
そう、最後の「ませ」だけが聞こえるぐらいがベストだ。箸やスプーンは適当に入れてくれればいい。子供相手のサービスなどもってのほかだ。客には徹底して無関心。これぞ東京砂漠というところを見せつけて欲しい。こっちはプリンと雑誌と靴下とファックス用紙などというとんでもない組み合わせの買い物をするのだ。ドン・キホーテならともかく、よくぞこんな狭い店内でそんな組み合わせが成り立つな、という品物を日夜カゴに入れてしまうのだ。だからこそ、できるだけそっとしておいてほしい。


 ところがどうだ。件の店員はそんな心配り一切無しではないか。ついこの間のことだった。夜遅く空腹で駅に降り立った私は、当然の行為としてこのコンビニに立ち寄った。目に飛び込んできたのは、おいしそうにふかしてある肉まん。そして、私は肉まんに目がなかった。腹も猛烈に減っている。迷わずレジに向い、「大入り肉まん2つ」と小声で言った。こういうのを頼むのはなんとなく恥ずかしいものである。なのに、だ。奴は店内に響き渡るような大声で「はい!大入り肉まん2つ!」と全く意味なく注文を繰り返すではないか。店にいた大勢の人の目が自分に注がれた。

「なんだって、大入り肉まんを2つも!?」「なにも2つとも肉まんでなくとも、1つはあんまんだってよさそうなものだが」。そんな囁き声が店内のあちらこちらから聞こえてきた(ような気がした)。


 彼は確かに親切でサービス精神旺盛だ。それ自体はすばらしいことだが、なにもそこまで、ということである。客が入ってくると雄叫びのように「いらっしゃいませ〜」と声をあわせる飲み屋も(会話が成り立たない)、運転手自らがドアを開けるために凄まじい早さで車外に飛び出てくるタクシーも(恐い)、そこまでのサービスは過剰に思えて仕方がない。

それより美味しい料理が安く出てきたり、道に詳しかったりするような、本質的なところで確実な方が嬉しいのに。たまに、「このテーブルを担当する○○と申します」とかいって、デザートやら次の飲み物を頻繁に聞きにくる店があったりするが、ああいうのも落ち着かない。挙げ句、日本もチップなんて払うようになったら、と思うとちょっと憂鬱だ。
 このところのカフェブームで、喫茶店のあの「我関せず」な静寂が稀少価値になった今、「適度にほっといてくれる」というサービスの貴重さを再確認せずにはいられないのである。
                  

2003年 3月